History

歩んできた道。

1959年に福岡で造園設計事務所を開設し、おかげさまで60年以上になります。

  • 1959
     高度成長期

    中村ガーデン / 都市・造園研究所

    西南学院ランドスケープ
    造園展
    原団地等の公営住宅のランドスケープ
    法華クラブ
    市民の森
    能古島アイランドパーク

    都市・造園研究所時代の事務所の写真。現在でもその面影が残っています。

    都市・造園研究所時代の事務所の写真。現在でもその面影が残っています。

    当時の案内パンフレット

    当時の案内パンフレット
  • 1970
     高度成長期
    (海外アジア)

    環境設計 H・A・N

    武雄文化会館
    海の中道海浜公園
    舞鶴公園
    友泉亭
    西公園
    東公園

  • 1980
     バブルの時代
     平成年号

    ZEN環境設計

    福岡銀行本店
     ラ・ヴィレット公園 コンペ入選
    天神モール
      ミュージアムシティ天神
    天神中央公園
    福岡市役所

    赤坂の読売新聞ビル7Fの事務所からは、福岡城のお堀、桜が綺麗でした。

    赤坂の読売新聞ビル7Fの事務所からは、福岡城のお堀、桜が綺麗でした。

    今は亡き、NIC福岡ビルにてZEN環境設計のグラフィック展を開催。
    カリフォルニアのグラフィックデザイナーによるZENのイメージ展

    今は亡き、NIC福岡ビルにてZEN環境設計のグラフィック展を開催。カリフォルニアのグラフィックデザイナーによるZENのイメージ展

    この事務所では、いろいろな分野の専門家を集めて、
    福岡市をはじめとした西日本を中心に、街づくりや公園・広場などの
    パブリック空間の提案・設計を行ってきました

    ZEN、時代ごとのエポック

    大川内山藩窯公園
    パルクラビレットコンペ入選  原広司と協同プラン [フランス パリ]
    ソラボルホテルランドスケープデザイン設計 [韓国済州島]
    ドンブー別荘 韓国 [ソウル郊外]
    チャーホスピタルランドスケープデザイン設計 [ソウル]

    Pagan Hotel [ミャンマー パガン ]
    サイアムスクエアマスタープラン[タイ バンコック ]

    台中 ウォーターフロント設計[台灣 ]
    商業・ホテル・住宅コンプレックス [中国 北京]
    貴州住宅・商業・学校コンプレックス [中国 貴名湯揚子江]
    日本庭園 [ニュージーランド オークランド ]

  • 1990
     バブル崩壊

    ZEN環境設計

    伊万里大川内山藩窯公園
    紫川マスタープラン
    マリノア
    地行中央公園
    アップジョンFSL筑波研究所
    地行センタープラザ
    シーホークホテル
    香椎パークポート
    アイランドシティ埋立申請「景観」
    アイランドシティデザインガイドライン

  • 2000
     産業空洞化

    ZEN環境設計

    中島町
    うどんウエスト160店以上
    博多廊
    鮨 麻生
    白金茶房

  • 2010
     令和年号

    ZEN環境設計

    カフーホテル設計
    カフーホテルアネックス
    博多湾中期・長期ビジョン
    博多まちづくり協議会 ガイドライン
    読谷ホテル設計
    九州大学箱崎キャンパスプランニング
    博多湾WF
    ホテルH2長崎
    さいさき屋

  • 2020

    ZEN環境設計

    現在もプロジェクト進行中

福岡市の「まちづくり」に対する
情熱は最大にありました。

会社で提案できないので、今のまちづくり協議会の様な市民団体やデザインコミッティーを通して提案しつづけました。

今、その殆どが現実になり、福岡の発展に寄与しています。

福岡によせる期待と提言(1964)
人間都市への提案(1968)
四島司氏の貢献度は特に大きかったと伺っています。

福岡の発展
福岡の発展
ZEN環境設計・私、中村久二が人生の中でお世話になり、
かつ多くのことを学び、影響を受けた方々に、感謝いたします。

Special Thanks

私が出逢って多くの事を学んだ師匠、多くの事を私に教えていただいた方々に感謝

葉祥栄 物作りの姿勢の原点を教えて頂いた
五十嵐威暢 デザインの大切さ価値を教えてくれた
内田繁 デザインビジネスの基本を学んだ
細野晴臣 物作りの粋とは何かを感覚的に教えてくれた
ジョン・ニューハート チャールズイームスのチーフデザイナー
ジョン・ウィットニー Computer Graphicsの巨匠で私の「主任教授」
ナムジュン・パイク 直感の物作りを教えてもらった
田中一光 初めての個展をさせてくれた
原広司 ラビレットのコンペでともに提案
空間社 チャン・ミン アジアの仕事のキッカケ

Clientから学んだ事、クライアントの理解があってこそ物が作れる

■ 十代の頃
長門芳郎 細野さん・達郎などの出会いを創った人
■ 二十代の頃
井出氏 伊万里市役所 大河内山藩窯公園を創らせてくれた人
→ 堤清二との出会いが産まれた
= 世界アジアの展開の原点
堤清二 健在:マリノアのマスタープランをさせて頂いた
■ 三十代の頃
武田淑 博多に飲み屋を創った
天神中央公園 福岡県 県庁跡地を公園へ
福岡市庁舎 福岡市 市役所の遺構を菊竹さんと共に
チャン 空間社 韓国で仕事を展開
加藤友康 麻生宏 博多にホテルを創った
境豊作 敷居を下げたウドン店の展開
SLA マリノアを共に創った
シーザーペリー
シーホークホテル
SLAが紹介してくれたニューヨークの事務所
ももちセンタープラザ
福岡市
パブリックで有りながら夜間も使える空間

■ 四十代の頃

香椎パークポート / 博多湾アイランドシティ / タイサイアムスクエアー


■ 五十代の頃

台湾コンペ / 中国プロジェクト / 博多港マスタープラン
沖縄をはじめとしたホテル


■ 六十代の頃

九州大学 / WF

Dear Dad

福岡の街に対する提案をし続けた父。

中村善一

あのとき創業者は何を思い、
福岡の街を変える事に情熱を注いだのか。
最初のクライアントはアメリカ人。

造園展

過去の経歴や父の話から、最初のクライアントは西南学院のキャンパスランドスケープと聞いてます。 幼稚園から始まり、高校から大学へと小さな庭の設計が広がりました。アメリカのクライアントだから分かっていた、ランドスケープデザインの大切さです。

岩田屋「造園展」

生活の中に緑がある暮らしを人々に理解してもらうためには何をすべきか。まずはじめに、福岡の百貨店「岩田屋」で造園展を開催しました。これには中牟田 喜一郎様に大変感謝いたします。(凄い方です) 訪れた人の中には、当時板付ベースキャンプがありアメリカ人が多かったと回想で語っています。日本には、当時緑のある暮らしはピンと来なかった。しかし、予想をはるかに超え、多くの市民が緑のある暮らしに興味を持ち、大勢の人々が関心を持って会場を埋めたのには驚きです。

造園展

日本には造園の概念庭づくりの概念はあったがランドスケープと言う概念は無かった時代に設計事務所を造ろうと思った

造園展
福岡の経済がわかる経済文化人、四島司氏との出会い。

1964年 福岡によせる期待と提言

福岡青年会議所に入り、そこで父親が大きな可能性を持ったのが、
ここで活動したらひょっとすれば街を変える事ができるのではという直感でした。

福岡によせる期待と提言
磯崎新をみいだし博多のまちに最大の影響を与え続けた怪物文化人四島司との出会いは大きい

1968年 人間都市への提案

1968年、当時の提案「夢」が福岡の発展に繋がり、現在ほぼ実現しています。
夢ではない、人のための都市計画。

人間都市への提案

1960代の提案が今の福岡市発展の基礎・骨格を創っている

渡辺通り

渡辺通り
電車がなくなり通りを広くし、天神を福岡を中心に。後に、福岡市トランジットモールを提案しました。

渡辺通り

下川端町再開発

下川端町再開発
現在のリバレイン、イニミニマニモ。福岡を魅力的にする環境への提案は常にし続けました。

下川端町再開発

海の中道

海の中道
海の中道では、まずは雁ノ巣公園の提案からはじまり、後に建設省に提案をして国営の公園になりました。

海の中道

福岡市への提案/ミュージアムシティ福岡